2020年7月29日
はじめまして!
新人街クリワーカーのmiyaです。
これまで学生時代から会社員、果ては子どものPTAに至るまで、
いろんな文章を書いてきましたが、「広告」を書くのは初めてです。
不動産業界も知らないし、キャッチーな文章が私にかけるのか??
という不安がありつつも、好奇心で乗り切っていきたいと思っています!
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今回のテーマは「感謝」です。
私が第一子を妊娠していた時、人生観が変わるような
気付きがありました。そのことを書きます。
実は私は、実母とはずっと折り合いがよくなく、
特に社会人になってからはケンカばかり。
母は、少々気難しいところがあり変わった人です。
いわゆる毒親…程じゃないですが、
私は母に対して嫌な思い出をかなり持っていました。
そして母は、定年までずっとフルタイムの仕事をしていました。
妊娠中に実家に帰っていた時、
ふと、私が赤ちゃんだったころの話になりました。
私を産んだ時。
当時は育児休業などなく、産後休業8週間で復帰したそうです。
職場の近くに家を借り、昼休みに授乳しに帰っていたと。
祖母が母の実家から手伝いに来て、私が保育園に通うまで、
日中は面倒を見てくれたそうです。
初めて聴くことや、祖母と母の話をたくさん聴きました。
母は、大変だった、とは言わなかった。淡々と話していました。
昔のことは、知ってるつもりだった私。
でも、不思議なことにその時なぜか、ぶわーっと、
「おかあちゃん、私をそだててくれてありがとう…!!」
と、感謝の思いがあふれてきたのです。
小学生のころ、私の絵の受賞式、待ち合わせ場所に全く現れず、
受賞式に大遅刻して恥ずかしい思いをしたこと。
友達も先生もほめてくれた絵を、開口一番けなしたこと。
(だからか絵を描くのが得意だったのに、今は全く苦手ではありますが)
…私の中で大人になってもわだかまりになっていた、いくつかの恨みが
全部すっと、どうでもよくなり受け入れられるようになったのです。
批判が多いのは母の性格、そんな時代だったからしょうがない。
私には合わなかったけれど、
仕事に厳しかった母は、誰かを成長させるような存在だったのかもしれない。
どうして自分が、いまここに存在できるのか、
両親がどんな想いで、私たちを育ててきたのか、
私のおなかの中に子どもがいたからだと思います。
未熟者だった私は、自分が親になって初めて、両親の愛に気づいたのでした。
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今でも母とは性格は合わず、忘れたころに電話するくらいです。
昔と違うのは、尊敬すべき一人の人間として付き合っていることです。
みなさんにも「感謝」をこころから感じる瞬間があると思います。
それは人が豊かに、幸せに生きていられている証拠だなあと感じます。
少々重い話になりましたが、最後までお付き合いありがとうございました!