2022年8月25日
こんにちは。街クリワーカーのCです。
私は幼い頃、北海道のS町という小さな小さな町に住んでいました。
そこは幼稚園バスもなく、極寒のなか1時間も歩いて幼稚園へ通うようなところでした。
幼稚園の年長に上がる年、親の仕事の関係で札幌に引越す事になりました。
クラスでは私のためにお別れ会を開いてくれました。
担任のひろみ先生は目を真っ赤にして「Cちゃん。札幌に行っても元気でね」と言い、
一緒に遊んでいた園児達による寄せ書きの入ったアルバムをプレゼントしてくれました。
だけど私には、幼すぎた私には、さよならの意味がわかりませんでした。
ひろみ先生がなぜ泣いているのかも。
そして私は、北海道のなかで最も大きな街である札幌へと移り住みました。
幼稚園バスで通園できる、便利な街だと思いました。
私はだんだんS町のことを思い出さなくなっていき、そのまま札幌で青春を迎えました。
やがて大人になり、私は理解するようになりました。
さよならとは、もう二度と会えないことを意味するのだと。
そして、たまたま担任した一園児に過ぎなかった私に対し、
あんなに目を赤くして別れを惜しんでくれた、ひろみ先生の優しさを。
大人になった今、「さよなら」を言う機会は更に増えたけれど、
私は人との別れ際、心の片隅で「これが最後になるかもしれない」と思うようにしています。
そして、さよならを言えないまま大切な人が消えてしまうことのないように、
会いたい人にはどんどん会いに行くようにしています。