2020年10月15日
初めまして。
9月よりお世話になっております、関東在住のFと申します。
大学進学を機に関東に出てきて、就職、結婚、出産し、気が付けばこちらで暮らしている年数が、生まれてから故郷で過ごした年数を超えてしまいました。
私が生まれた土地は程よく田舎で、観光地でもあり土地の自慢はたくさんあります。しかし今回は故郷=私が帰る場所というテーマでお話させていただこうと思います。
7年ほど前の話です。実家の両親より家のことについて相談がありました。
実家は街の中心部より車で20分ほど。兄が幼稚園児、私が生まれたばかりのころに建てられた3LDKの2階建てです。そのハウスメーカー特有のデザインで、当時は珍しかったユニット住宅。白いコンテナを積んだような四角いフォルムをしていました。子供心にも珍しいデザインの自分の家を誇りに思っていたのを覚えています。その家も築30年を超え、部分的に補修を重ねてきた家もそろそろ大きな見直しが必要な時期になりました。兄と私はすでに実家を離れ、父も定年退職し、これから夫婦二人の老後を過ごすのに自宅を全面リフォームするのか、街のほうに小さいマンションを買って移り住むのか・・・。どちらかというとマンション購入のほうに気持ちが傾いているようでした。
「この家がなくなっちゃってもいい?」
申し訳なさそうに尋ねる両親に私はこう言いました。
「別にいいよ。どこにいても二人がいるところが私の帰る場所だし。」
その言葉にハッとした顔をして、「そうか・・・。嬉しいことをいってくれるんだな。」と笑った父。
生まれ育った家がなくなるのは寂しいけれど、二人が住みやすいように暮らしてくれるほうがずっといい。心からそう思いました。
しかし、両親は家を残すことを決めました。
「やっぱり、あなたたちとの思い出の詰まったこの家を離れられないわ。」と。
それを聞いて正直ほっとしたのを覚えています。ああ言ったとはいえ、家のあちらこちらに生まれた頃からの思い出が詰まっています。
そして両親はうきうきとリフォームの計画を進めていきました。
「壁も床も水周りも全部新しくして、外壁も塗り替えるの。」
と電話で話す母の声は弾んでいました。
そして数か月後。リフォームが完成してしばらくして、帰省するときがやってきました。
駅からタクシーに乗り、家の前で降りました。
(わあ・・外壁も塗り替えて印象が変わったなあ。卵色のようなやさしいイエローに屋根部分はブラウンか・・・。え?あれ?これって・・)
「カステラやん!!」(白目)
思わず関西弁で突っ込んでしまいました。
はい、みなさん想像してください。コンテナのような四角いフォルム、黄色の外壁、上部は茶色・・・。巨大なカステラが見えましたでしょうか。
思い出の家がカステラになっている・・・。
動揺を隠せない私に出迎えてくれた父が「良か色やろ?」と笑っています。
私が生まれ育った街、それは長崎です。
帰る場所は、カステラのような家になりました。
ざらめのような小さな思い出の粒があちらこちらに散りばめてある、やさしくてあたたかい場所。
その家で里帰り出産もさせてもらい、現在5歳になる息子もまた長崎を訪れる日を楽しみにしています。
こうして街クリにご縁をいただき、コロナ禍のなかでもお仕事に就けることは本当にありがたいことです。感謝の気持ちを常に持ち、お仕事に取り組んでいきたいと思います。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。