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2つの「故郷」

だんだんと秋が深まってきましたね(^_-)-☆

こんにちは!ワーカー「のり」と申します。

今回のテーマは「故郷」ですので、少し私のルーツについて語りたいと思います。

私には「ペルーと沖縄」の故郷が2つあります!(^^)!
ペルーで生まれた日系3世です。

私の祖父母は第2次世界大戦後にペルーへ渡り、文化も言語も違う国で想像できないほど苦労はしましたが、ペルーで自立し定住する事を決めたそうです。
その後、母親が生まれ(日系2世)、ペルーとスペインと日本のクォーターである父と結婚し、私が生まれました。なので私は、ペルー人の日系3世になります。

生まれてから3歳までペルーで暮らし、その後父親の仕事の関係でアメリカに3年間移住してまたペルーに戻りました。
ペルーの学校に入った時は、よく「おい!中国人早く中国に帰れよ~」とよくからかわれておりました(笑)
(南米ではアジア系の人によく中国人と決められちゃいます💦)
でも、すぐに友達も沢山できたし毎日学校へ行くのが楽しくて仕方がなかったです☆
週末になれば、家族で集まったり遊びに行ったりと本当に幸せな日々を送っていましたが、1年後にはまた仕事の関係で今度は日本に来る事になりました。

当時は日本に来る事がすごく楽しみで、祖父母が生まれた国に行ける!やっと中国人ってからかわれないんだろうな(;^_^Aと思って日本に来ました!
日本に来た時は、なんて綺麗な国だ!と驚きと嬉しさでいっぱいになりました!!
この時は、沖縄ではなく群馬で暮す事になって、小学校にも入る事になりました。

小学校に入った時は、とにくかく大変でした💦
言語もわからない!しばらくは給食も食べずなれるまでは結構時間がかかりました。
祖父母に教わった沖縄の方言(日本であれば通用すると思っていた)で同級生の子に話しても「英語わからない~」って言われ(笑)
親に「日本語で話しているのに、理解してくれない」って言ってた思い出があります。
私が行ってた学校は外国人やハーフの子もいなく、日本人の子にとって私はきっと珍しく目立っていたのかもしれません💦
ここでも「外人!外人!早く国へ帰れよ~キモイんだよ!」など言われ虐めも経験しました。
いつも親や祖父母には「私には、国ないの?なんで日本でも国へ帰れって言われるの?でもペルーの方が好きだからペルーに帰りたい」と泣きながら話していました。
もし、その時わたしがペルーに戻っていたらきっと日本語も覚えなかったし、日本の素晴らしい文化に触れる事がなかったのかもしれません。
今では、二つの文化や言語を話せる事ができて親にも祖父母にも感謝しかありません。

そして、沖縄に行った時はまったく会った事がなかった親戚たちにすごく暖かく迎えてくれて、買物に行ったときは「沖縄のどこから来たの?」って聞かれたときには涙が溢れました(´;ω;`)
やっと外人としてみてくれない場所があった!と感じました💛

いろんな故郷をもっている自分は本当に幸せ者で、誇りに思っています。

最後まで読んでくれてありがとうございましたm(__)m