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おいしいソーセージ

初めまして!北海道在住のHです。
現在夫の転勤に伴い、函館市に住んでいます!
函館にゆかりある人物といえば土方歳三が有名ですが、今回は私が最近知ったある歴史上の人物についてご紹介したいと思います。

先日自宅に、あるソーセージ店のセールのチラシが入っていたのでお店に行くと、店舗の2階が入館無料の歴史展示館になっていました。そこでは函館でソーセージ作りに人生を捧げ、後に「胃袋の宣教師」と呼ばれたカール・レイモンの紹介がされていました。

カール・ワイデル・レイモンは、1894年にドイツのボヘミア地方(現在のチェコ)で、代々食肉加工を生業としている家に生まれました。職人としての技術を身につけた後ヨーロッパ各地、アメリカなどで加工技術・経営学を学び、1919年に日米合同の缶詰会社の仕事で函館にやってきます。

この函館で彼の人生を大きく変える出会いがありました。宿泊していた勝田旅館の娘・コウと恋に落ちたのです。当時国際結婚は珍しく、コウの両親や親戚は猛反対し、当時の新聞記事にもなります。しかし2人はあきらめず、1922年に駆け落ちし、別々に函館を発った二人は中国・天津で落ち合いました。2人はレイモンの故郷で結婚式を挙げ、ソーセージ店を始め繁盛しますが、3年後に函館に帰ってきます。

戻った2人は正式に結婚を認められ、函館でソーセージのお店をオープンさせます。当初ソーセージやハムは日本人には未知の食べ物で、なかなか受け入れられませんでしたが、だんだんと繁盛し大きな工場を作ります。工場の噂は軍にまで広がり、満州で畜産指導にあたり、目覚ましい成果をあげました。

しかし1938年、成功をおさめて帰国したレイモンを待っていたのは仕事の禁止、工場売却命令、そして西洋人への迫害でした。戦争が始まったのです。それでもレイモンは人を恨むことなく、終戦後再び函館でソーセージを作り始めます。

戦後は後進指導の傍ら自ら観光客に店を案内するうちに、レイモンのソーセージは全国で評判になります。また、1974年には日本とドイツの友好に果たした長年の努力が認められ、当時の西ドイツから「功労勲章十字章」が贈られたほか国内でも様々な賞を受賞します。そんな彼は、いつしか「胃袋の宣教師」と呼ばれるようになりました。

1987年12月1日、雪のちらつく函館の街で、カール・レイモンは93歳で永遠の眠りにつきます。共に人生を歩んだ妻・コウは、10年後の1997年に95歳で生涯を閉じました。

駆け落ち・戦争といった苦難を乗り越えた、まるで朝ドラのような人生に私は感動しました!そしてセール中のソーセージをたくさん買って帰り、歴史に思いを馳せながらおいしくソーセージをいただきました。

函館に観光に来られた際には、海鮮はもちろん、ぜひソーセージも食べてみてください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!