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人生の分岐点となったドイツ・ベルリン

こんにちは!
今回のテーマは「アナザースカイ」ということでしたので、同名のTV番組に似せて、

私が13年前に訪れたベルリンのお話をさせていただきます。

 

ベルリンには大学の頃の友人T子が住んでおり、

ヨーロッパの建築巡りのために、1ヶ月間滞在させてもらったのです。

 

雪の降る2月のベルリン、-20度以下の凍てつく時期。

雪国生まれの私はどうにかなるさと、ダウンとブーツ姿に毛糸の帽子を被り、

バックパッカーのごとくリュック1つで日本を飛び立ちました。

 

ベルリンの街角で見つけた光景、車のフロントガラスに埋まるフランスパン。どうしてこうなった。

 

ベルリンの他に、ドイツのケルンやデッサウ、ベルギー、オランダ、スペインなどに

足を伸ばし、建築と都市を見てまわりました。

 

雪国共通、子どもたちとお買い物や移動するときは、やっぱりソリが便利。

 

その頃、私は長く勤めた東京の不動産建築の仕事をちょうど辞めて時間があったことと、

東京の都市の姿や、自らも手がけてきたマンションやビルについて、こ

れでよいのかという強い疑問を持っていました。

 

戦後、欧米を真似、欧米に追いつかんと急速に発展させてきた東京。
そうしてできた都市や生活空間は、本当にこれでいいのか。

自分が携わった高額なマンションのプランや仕様、下町に突如聳え立つ景観を無視した新築ビル。

本来あったはずであろう、日本人がよしとしてきた空間を置いてきぼりにして、

日本人に合わない息苦しいものになっているような気がしていたのです。

 

そんな時に、ヨーロッパの各地を巡ったことで、都市や街路のあり方、

建物の造形に対する根本的な考え方が、文化の根底から異なることを実感しました。

 

これは日本の文化から知らないと、太刀打ちできない。
そう思って帰国しました。

 

ドイツのデッサウに残るバウハウスの校舎。

 

そして東京を離れ京都の大学で日本文化を学び、昨年修士を取得。

今は博士課程に進んでいます。

学生をしながら、大学の非常勤講師もさせていただいています。

 

あの1ヶ月のベルリン滞在が分岐点となって、今だに私の人生を動かすガソリンとなっています。