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歴史上の人物にも、私たちと同じ日常がある

こんにちは。東京在住のSです。毎日、本当に暑いですね~。

いつも夏になると家の中の1階の廊下が一番涼しい場所なのに、今年はその廊下でさえもサウナのような暑さに。まさに「猛暑」「酷暑」を実感させられるこの頃です。

 

さて、今回のブログのテーマは「歴史上の人物」。

 

たまたま先月、『千利休 本覺坊遺文』という映画を家で見ました。

 

私の実家の母は茶道裏千家の師範でした。茶道を教え始めたのは私が中学3年生の頃。

当時母から「茶道をやってみない?」と誘われ、習うことに。

それから約〇十年。母が茶道を教えるのを辞めるまで、一番弟子で茶道のお稽古をしてきました。いわゆる「お茶名」も、取得しています。

 

その茶道の創始者といえば、「千利休」。

『千利休 本覺坊遺文』は、その千利休の死に焦点を当て、秀吉に命じられて自刃した利休の晩年の様子を、愛弟子・本覺坊の目を通して描くという内容の映画です。

 

その映画の存在は、知っていました。でも今までずっと見たことがなくて。

とにかく、とても静かで、もの悲しくて、厳かで。まさに「静謐」という言葉をそのまま映画にしたような、そんな映画でした。

その何とも言えない静けさの中にある緊張感に、大変感銘を受けました。

 

……と同時に。なぜか私の中に

「利休さんにも、残された本覺坊をはじめとした弟子たちにも、それぞれの日常があったのだなぁ」

という想いが湧いてきました。

映画の内容が、そんなに劇的な出来事を取り上げておらず、とにかく淡々と、利休の晩年や弟子本覺坊・有楽斎のその後の様子を描いていたから……かもしれません。

 

ごく当たり前のことなのですが、どの人たちも皆、勿論私たちも、一日、一日を積み重ねて生きていっている……んですよね。

 

千利休も、別に「歴史上の人物」になろうと思って生きたわけではない、と思うのです。

恐らく、歴史上の人物と言われる方々のほとんどが、そうなのではないかと。

自分の人生を懸命に生き抜いた、その先に。

たまたま歴史上の出来事や物事に深く関わったことで「歴史上の人物」になった、ただそれだけ。

 

一日、一日の積み重ね。あまり深刻に捉える必要はないと思いますが、それでも。

何気ないその日常の積み重ねがあって、その人の人生となり、歴史となっていく……。

そんな風に思うと。

毎日を丁寧に、意識して生きていくことが大事なんだな〜と、今回しみじみと感じたのでした。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました!