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神の島

晴れ続き&夏日続きでまだまだ秋を遠く感じる広島在住のワーカーYがお届けします☀️

今回のブログテーマは「歴史上の人物」。

広島で「歴史」といえば…誰もが知っているであろう「厳島神社」が真っ先に思い浮かびました。

世界文化遺産・海に建つ神殿として国内外で知名度の高い厳島神社。

去年娘たちの3歳・7歳の七五三をさせていただいたのですが、結婚式を挙げられる方も多く、美しい朱色の寝殿造の御社殿に拝観するためにたくさんの人が訪れている神社。

でも、御祭神や建立の経緯など、考えてみたらよく知らないなぁ…と思い、今回調べてみました。

 

◆厳島神社◆

御祭神は「イチキシマヒメノミコト」「タゴリヒメノミコト」「タギツヒメノミコト」

この3柱はスサノオノミコトとアマテラスオオミカミが「剣玉の御誓」をした際に、スサノオノミコトの剣から出現した女神です。古くから御皇室の安泰や国家鎮護、海上の守護神として崇信されてきました。

(剣玉の御誓とは‥

海原の統治を任されたスサノオノミコトは、母のイザナミノミコトを想うさ寂しさのあまり、海原を放置して泣き暮らしていた。みかねた父のイザナギノミコトに海を追いだされ、姉のアマテラスオオミカミに会いに高天原へ。侵略しに来たと考えたアマテラスオオミカミは、スサノオノミコトが訴える潔白を証明させるために、互いのものを交換して子を成した。スサノオノミコトの剣から先述の女神3柱が生まれ、「自分の剣から女神が生まれたから自分は潔白だ!勝利だ!」と決めつけた。と古事記に記載されています。)

現在の地に御社殿が建立されたのは推古天皇即位の593年。その後、かの有名な平清盛が1168年に寝殿造様式の御社殿に修造しました。

ざざっと書くとこの様な流れで建立され、現在に至るわけです⛩

日本の神々、誰もが知る推古天皇や平清盛・・現代に至るまでも、総理大臣や著名な人物が信仰してきた厳島神社。

「歴史上の人物」を支えてきた大事な場所だな、と思います。

 

宮島口から宮島へ向かうフェリーに乗っていると、厳島神社の大鳥居を海上から見ることができます。

この大鳥居は数年間かけて大規模な修繕工事が行われ、2022年冬に完了しました。

美しい朱色の大鳥居が、さらに美しく彩られて海の上に佇む姿に感動します✨

 

(修繕工事完了後の2023年1月に拝観した際に撮影した大鳥居です☺️)

 

そして、厳島神社の建つ宮島は「神の島」と言われているのですが、ご存じでしたか?

宮島には弥山という山があり島全体が信仰対象で、弥山から出る霊気を人々は信仰してきました。

806年には弘法大師が御堂を建て、真言密教の修験道場にもなり、平安時代〜江戸時代にかけて多くの人が訪れていたそうです。

これが「神の島」と呼ばれる理由の一つでもありますが、もう一つには宮島を本州側から見ると「観音様が横たわっているように見える」から、という理由もあります。

 

これは私が宮浜温泉に宿泊した際に撮影した宮島の写真です。これだとよく分かりません…😂

が、もしご興味ある方は調べてみてください♪

私は「お〜!ほんとだ!見える!」と感動しました✨

 

そのほかにも、

・お墓がない

(昔は出産もできず、妊婦さんは臨月になると本州に渡って出産し、産後100日を過ぎなければ帰島できなかったようです)

・灯籠の数が108個で、除夜の鐘と一緒(人間の煩悩の数を表している)

・厳島神社の大鳥居→本殿までが八八間、柱の間は八尺、など「八」にこだわって造られている

・大鳥居の屋根部分に入っている石の謎

(木の重みだけで建つ大鳥居ですが、屋根下の空洞部分に石が入っています。その数が276個で1つ1つの石に「般若心経」が書かれていたとか。神仏習合の歴史を感じます。)

 

など、宮島が神の島と言われる理由はたくさんあります。

今回このブログを書かせていただくにあたり、宮島・厳島神社のことを詳しく学び、改めて日本の素晴らしさを感じました。

次に宮島を訪れる時は弥山の登山ルートを通って、山頂まで登り切り、島全体を包むパワーを全身で感じてきたいと思います!⛰

 

最後までお読みいただきありがとうございました✨