2020年10月8日
はじめまして。
9月より街クリでお世話になっております。Uと申します。
今回は『故郷』というテーマでお話していきます。
私は幼少期、両親の仕事の都合で海外で暮らしていました。生まれてすぐに海外で生活していたので、
物心がついて日本に来たときは、色々と衝撃も多かったように思います。
小学校の途中から日本に家族で暮らし始めたのですが、そこは「大阪」でした。
まず、私は人生初めて聞く関西弁が理解できず(両親は関西弁を話しません)、
クラスメイトから「海外からの来たから、日本語わかれへんねやろ~」とからかわれてしまい、
はじめはお友達作りにも大変苦労しました。
でも今は、すっかり関西人になり、大阪が故郷と呼べる場所となりました^^
大人になってからは、両親や幼少期の影響から海外へ行くことには特に抵抗がなく、
「私アメリカに留学行くわ!」と渡米しそのまま4年間生活。
その延長で海外就職も果たしました。
しかし、留学生活と違い働くことはやはり色々とストレスが重なり、しばらくしてから
身体の調子がおかしい、しんどい。動きたくない。そんな日々が続きました。
母にもうしんどいと電話ではじめて弱音を吐きました。すると母は「もう、しんどかったら帰っておいで。」
そんな風に言われると思わなかったので、とても驚いたのを覚えています。
もう少し頑張ったら「帰ろう」そう思いながら働く日々はしばらく続きました。
ある朝、どうも体調がおかしい。なにかが変だ。帰らなくては。そんな嫌な予感がして
勤め先に事情を説明して帰国を願いました。
帰国までの数日どんどん体調不良は悪化し、帰国日前日には病院に運ばれてしまい
医者から「状況がよくない。明日帰国するならすぐ病院へ行け」
とだけ説明され、帰国日当日。
もう自分の足では歩くこともできず、車いすで空港を移動しました。
日本に着いてからはそのまま救急車で運ばれ、即入院。
何万人にひとりの難病と診断されました。ちょうど3年前の出来事です。
あまりのショックと、悔しさと、海外で働く夢を失ったこと、
最初の1年間は入退院の繰り返し。風邪や感染症に弱く、すぐに身体が悪くなる。
とても悔しい思いをしましたが、今はいろんなことを乗り越え
私の病気が、ここ日本「故郷」に帰してくれたんだと思えるようになりました。
これがなければ、帰国することはなかったかもしれません。
今も治療は続いていますが、毎日体調も良く、感謝の日々です。
そして、安全な環境でお仕事ができる街クリに出会てよかったと思っております。
色んな事情を抱える方が、これからもどんどん活躍できる社会になることを願って・・・
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました♪