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「AI」と聞いて思い出す映画

こんにちは。
大阪府在住のKです。

 

今回のテーマは「AI」ということで…
かれこれ20年程前から、AIや人工知能といった言葉を聞くと、思い出す映画があります。
それは、響きはそのまま『A.I.』。

(年齢がばれそうですが)

当時友人に誘われて、一緒に観た映画です。

以下、少々ネタバレになりますがご了承ください。

 

舞台は人間そっくりなロボットたちが、様々な形で人間の生活をサポートしている未来。
そして主人公は、人間の親に不変の愛を持つようプログラムされた子供型ロボット(名前:デイヴィッド)です。
デイヴィッドは最初こそ人間の夫妻に可愛がられていましたが、紆余曲折あり、結局森に置き去りにされ捨てられてしまいます。
その後、同じく捨てられたロボットと出会い、一緒に試練を越えつつ、「捨てられないため、ママに愛されるために人間の子どもになる」方法を探してまわる…
そんな話です。

 

観賞後、友人はデイヴィッドの結末に号泣していましたが、私は何とも言えないモヤっとした、そしてゾワっとした気持ちになったのを覚えています。

その時はよくわからなかったけれど、今考えると直感的に怖かったのだと思います。

 

人間社会にロボットが進出してくる怖さ。
ロボットが感情(というプログラム)を持ち、またその感情がストレートでぶれない怖さ。
そのようなロボットに対してもモノとして捨てることのできる人間、逆に捨てきれずに振り回される人間の怖さ。

それから『AI』という言葉を聞くと、「すごいな!最先端だな!」という気持ちより先に、漠然とした怖さを感じるようになりました。

 

この20年の間に私も大人になり、親になり、改めて映画『A.I.』を思い返すと、また違う感想が出てきます。
昔は「可愛がってたロボットを捨てるなんて!」と思っていたのが、「いやいや、人間に危害を加え始めたら迷わず廃棄でしょ」と思うし、「人間の子どもになりたいと願うなんて切ないなぁ」としんみりしたのが、「いやいや、人間の子供に勝るものはないよ」と思ってしまったり。
昔より怖さが何か明確になり、冷静にみれているのかもしれません。

 

そんな私でもアレクサは使うし、お掃除ロボットも持っています。
便利なものにはやっぱり頼ってしまうし、今後も増えていくのだろうなとも思います。

でも、映画のように人間とAIの線引きが曖昧になり、取り返しがつかない!なんてことにならないように、映画『A.I.』で感じた直感的な怖さは忘れずにいたいなと思います。

 

しかし20年たっても「怖さ」が消えないなんて…これもきっとスピルバーグ監督の狙いどおりなんだろうなぁ。 あっぱれです。